人気ブログランキング | 話題のタグを見る

言葉の力

「子どもの頃、好きだった科目は?」と訊かれたら、俺は迷わず「国語」と答える。英語も好きだったけど、言葉への興味は国語の授業が育ててくれた。中学二、三年生の年の担任が国語の教師で、教科書の課ごとに自作のプリントを用意してくれて、それに沿って新出漢字をルーズリーフに何度も書いたり、課末にある「注意する語句」の意味を辞書で調べて書き写したりしていた。

ワープロが家庭に普及する前の時代のことだから、プリントはもちろん手書きで、昭和五十年代なのでさすがにガリ版印刷ではなかったけど、わら半紙に印刷されたものだった。中学校を卒業してから、その先生は別の学校に異動になって、校長を務められたと風の便りに聞いた。
言葉の力_b0042288_17411179.jpg

国語の教科書に、桜の咲く季節になると今も毎年思い出す、ある随筆文があった。それは、桜を使って染めたピンクの糸で織った着物の話だった。タイトルも作者も忘れたが、そのピンクが桜の花ではなく、木の皮から取り出した色で、あの桜の花の美しいピンクは、桜の木が全身で出そうとしているのだ、という内容が、中学を卒業して三十年以上経った今も忘れられない。

保育園に入る前から住んでいた実家を一昨年出て、単身向けの新居に移る為、思い出の品々を手放さざるを得なかった。桜の話が載っている教科書も、もう捨ててしまったと思いながら部屋の片隅の箱を覗くと、あった。『国語 二』(光村図書)。一緒に『国語 一』もあったけど、何故か『国語 三』が無い。更に、同じ箱に"NEW PRINCE ENGLISH COURSE"(開隆堂)もあったが、こっちは三巻揃っているものの二巻目が二冊あって、ちゃんと自分の名前が書いてある。何があった、俺!?
言葉の力_b0042288_17414835.jpg

さて、『国語 二』の茶色くなったページをめくると、件の随筆文のタイトルは、桜からは思いもつかない『言葉の力』で、作者は大岡信という詩人だった。『言葉の力』のタイトルの理由は、最後の一段落に集約されていた。桜の木が全身で出そうとしている最上のピンクが表れているのが枝の先の花に過ぎないように、我々の話したり書いたりする言葉のささやかな一語一語もその花びら一枚一枚に過ぎず、ほんとうは全身でそれら一語一語を表そうとしている大きな幹がある、といった理由だった。

「なんで今日職場であんなこと言っちゃったんだろう」「LINEでうっかりこんなこと書いたけど、傷つけちゃったかも」。大人になった自分がそんなことで悩むとは、当時の自分は思ってもみなかったけど、一四の自分も基本的に同じようなことで悩んでいた気がする。言葉を使う仕事に就いたのも、その答えが出せずにいるからかもしれない。答えは出ない気もするけれども、それが国語の授業とはまた違う面白さでもある。